善いとか悪いなんて、本当は無いんだ

サレジオ教会

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親しみのある天使のイメージは人によって色々だと思いますが、個人的に、真っ先に思い浮かぶのは大天使ミカエル。たとえばオラクルカードを引くときには心の中で呼びかけているし、困ったときは「ミカエルさまー、なんとかして」と独り言を言ったりしています。

ところが少し前に、大天使ミカエルという存在が、突然そら恐ろしく思えたことがありました。人間とは違う高い次元の存在にとって、人間の考えるところの「善い」とか「悪い」って概念は無いんだな、と思ったからです。そう考えはじめると、天使と悪魔は紙一重に思えてきて、どうでもいい悩みで軽々しく呼びかけることが、とてもリスキーな行為に思えたのでした。

このことが、改めて「善と悪」について考えるきっかけになりました。

たとえば、電車で年配の方に席を譲るとします。一般に、善と考えられている行為ですが「年寄り扱いされた」と相手を傷つけてしまうケースもあり得ます。この場合は、受け手の問題でもあるかもしれませんが、同じ行為でも、その人によって、また、状況によって、善と悪は変わってしまうことがあります。たくさんの人を殺した人が英雄扱いされた戦争の時代のように、時代背景によっても変わります。

善いとか悪いって、ただ、自分勝手に決めつけていただけのことなんだ、と思うに至りました。人それぞれが自分なりの(または植え付けられた)善悪の概念を持っているだけで、普遍的な善悪なんて実は無いのかも、と。

だけど、人を傷つけること、殺めること、そういった絶対的な「悪」はどう考えればいいのだろう?と、疑問が残りました。

大切なのは、そこに「愛」があるかどうか。

もっと言うと、それが愛からの行為なのか、怖れからの行為なのか。

そう考えるとスッキリしました。故意に人を傷つけるのは、怖れがあるから。愛しかなければ、人を傷つけたいなんて思いません。これ以上納得のいく答えはないかも、と思えました。

スッキリしてみると、大天使は力強い愛の存在で、怖れる必要なんてないと思えたので「ミカエルさま、ごめん。やっぱりよろしく」と心の中で仲直りをしたのでした。

そう言えば、アラン・コーエンさんも、迷ったときは「それが愛の選択か恐れの選択かを自分に問うように」と言っていましたね。