もったいないという執着

前回、「クローゼットの魔法」で書いたように

「よいものが入ってくるためのスペースを作りなさい」

「(部屋に)なりたい自分にふさわしいものを置きなさい」

と夢の中で言われ、すっかりやる気になったわたしは、途中で本を読んだり飲みに出掛けたり、休み休みではあるものの、6日間も片付けと掃除をして過ごすことになりました。

最初のうちは、丁寧に「欲しいもの」を選びながらのんびりやっていたのですが、5日目に入ると「いったいこの家の主人は、物とわたしとどっちなんだ!」と八つ当たりめいた怒りが芽生えて来て「もう物に振り回されるのは嫌だ」と思うに至りました。

これまでのわたしの部屋は、物は多いけど快適で、別にそれで問題ないと思っていました。でも、普段通りの片付けでは、どんなにキレイにしても、夢でみたような広々としてキラキラした部屋にはならないのです。思い切って床にできるだけ物を置かないで済むように物を減らしてしていくと、見違えるようにスッキリ見え始めて「これこれ!こうしたかったんだ!」とうれしくなりましたが、家中そうするのは、なかなか大変な作業でした。

わたしたちは子どもの頃に「もったいない」と大人たちから散々言われているせいか、不要になった物をいつまでも取っておきがちです。だけど興味が変わり、行動が変われば、必要な物が変わるのは当たり前なのです。「いつか使うかも」の「いつか」がやってくることはめったにありません。ましてわたしの住んでいる東京で一番高いのは「場所」。不要な物のために家賃を払うことほどもったいないことはないのです。

すでに興味を失った物は、薄暗いところで埃をかぶって、まるで、捨てられるのをじっと待っていたようでした。仕方なく置いてあったものに至っては、もうゴミにしか見えません。一方で「欲しいもの」に選ばれた物は、片付けが終わった場所に整然と並ぶと、以前より素敵に見えるような気がします。

「もったいない、かわいそう」とつい思ってしまうけど、捨てられるのを待ち続けるのが物にとって幸せなんだろうか? …ふと、そんな疑問が湧いてきました。わたしだったら、埃まみれで放置されるより、とっとと解放してくれたほうがいい。ゴミ袋に入ってゴミ処理場へ行く冒険のほうが、可能性があって楽しそうじゃない?

そんなことを考えていたら「せめて人形は汚れないようにビニールでくるんであげればよかった、『トイ・ストーリー』みたいな世界があるかもしれないし」と想像してしまったのですが、(本題に戻って)「そうか、停滞していたエネルギーや不要になったつながりを解放してあげることが大事なんだなぁ」と思ったのです。

そしてこれは、仕事や人間関係にも言えることだと思いました。

冬休みを費やした甲斐あって、部屋は見違えるように広々と気持ちよくなり、ここで新しい年をどんな風に過ごすのかなと思うとワクワクします。そして、片付ける場所ごとに色んなことを教えてもらって、すこし成長した気分です。


片付けが苦手な人におすすめしたいのが、カレン・キングストンさんの「新 ガラクタ捨てれば自分が見える」です。

読み始めると、いてもたってもいられなくなり、夜中でも片付けを始めてしまう究極の掃除本。腰が重いときも、これを読むとやる気になります。