まっさらな状態で見る

The Fool

The Fool

これまで、どれだけ先入観を持って人を見ていたんだろう。仕事からの帰り道、スケートボードを滑らせながら、そんなことを思いました。

人に対して「こういう人」と決めつけていると、その人のどんな振る舞いも、「こういう人」というフィルターを通して見ることになります。結果、よいところが見えなかったり、湾曲した見方をすることになります。

そうなると、人に勝手な期待をして失望したり、勝手な思い込みで心配したりします。その失望も、心配も、すべて自分の中だけにあるもの。勝手に自分が生み出した、自分だけのものです。

時には、それが互いに悪い方へ作用して、事件を招くこともあります。そこで被害者という役柄に逃げ込むのは一見、当然の権利のように見えます。そうすれば、この不幸は他人のせいと言い訳をしたり、それでも健気に頑張ったと感傷に浸っていられます。けれど、それもまた、全て「自分の中で」起きていること。結局、苦しみ続けるのは自分です。

子どもの頃に辛かったことや悲しかったことを、大人になってようやく人に話せるようになった頃、わたしはよく涙ぐんでいました。当時の自分に同情したり、当時の誰かに同情したりして、声を詰まらせることがありました。未消化の感情があったからだと今は思います。閉じ込めていた感情や、生み出した思い込みを消化するために、必要なプロセスだったのかもしれません。

先日、友人に子ども時代の話をしている時、淡々と話している自分がいました。もうすでに、ただの過去に起きた出来事のひとつになっていました。そうなってみると、そのまんまの状況を、新たな視点で見ることができました。当時の両親に対しても、そのまんまの姿が見え始めました。5歳の頃に抱えていた大きな荷物は、両親のために見えて、自分のためでもあったこともわかりました。その荷物は、どんな事情であれ、わたしが持つことを選んだものでした。

今ここで、まっさらな状態で過去を見ると、頭で「こういう事情があったのだから」と自分を無理矢理納得させるのとは違う、まるごと過去を受け入れて、全部OKにしてしまえるような感覚があります。まるで体ごとすっかり持ち上げられたような身軽さです。

わたしは、自分のバースカードでもあるタロットの The Fool(愚者)のように、希望と無限の可能性に満ちた、本当の自由を生きたいと思っていました。それは、こういうことでもあるのかもしれません。

いつもまっさらな状態で、相手を、出来事を見て、自分にも人にも正直に向き合っていくことが、わたしの求める自由のひとつなのかもしれないなぁ、と思います。