甘い池の記憶

小学校一年生の時、わたしは家出をしました。夕刻にひとりでランドセルを背負って電車に乗り、父方の親戚の家へ向かいました。そこは、わたしが生まれた村でもあり、大自然に囲まれたところでした。

家出後、半年間をそこで過ごしました。その間、母と弟は時々会いに来てくれましたが、親戚たちが「もう手に負えない」と匙を投げ、母が「二段ベッドを買ってあげるから帰ろう」と言うまで、帰ろうと思いませんでした。裏では、わたしが小学校に上がる前に家を出た父が「返してやってくれ」と親戚に頼んでいたと後から知りました。

その村の小学校で、わたしは男の子を苛めていました。他人の弱さが気に入らなかったような記憶がぼんやりあります。女の子たちを煽動しては「決闘だ!」と男の子を呼び出して、ボコボコ殴っていました。それ以前もそれ以降も、人を苛めたり苛められたりすることは殆どなく、苛めっ子とも苛められっ子ともお構いなく仲良くして、進んで喧嘩するタイプでもありませんでした。きっと、反抗期のようなものだったのでしょう。そうして半年の間、やりたい放題、わがまま放題の荒くれ者を満喫しました。

ターゲットが男の子に限られていたところをみると、わたしは他人の弱さではなく、逃げ出した父の弱さを責めたかったのかもしれません。「もっと強くなれ」と言いたかったのかもしれません。事実、殴っていた男の子から殴り返されたある日、痛いくせに、ようやく満足して仲良くなったような覚えがあります。

その頃、学校の帰り道、甘くておいしい水を飲みに、人口の大きくてきれいな池のような場所に寄るのが日課でした。誰かの家だったと思うのですが、記憶が定かではありません。そこを管理している人が「きょうは、来るだろうと思って、お砂糖をたくさん入れて特別に甘くしておいたよ」と言ったのを覚えているのですが、いま思うと、すごく変です。

個人の家にしては、その池はあまりにも大きく装飾的で、田舎には不似合いなキラキラした場所でした。そして、その池全体を甘くするぐらいのお砂糖といったら、とてつもない量のはずです。後から母に聞くと、そんな場所は無いはずだということでしたが、わたしはたしかに、そこへ通っていました。

そこを管理していたのは、たしかお爺さんだったと思います。手の平ですくって甘い池の水を飲みながら、その人から話を聞くのが大好きでした。荒くれ者だった家出時代、唯一の心が休まる場所だったような気がします。