「今、ここ」に在るもの

「今、ここ」を実感する〈3〉

一昨年の夏、はじめて、スピリチュアル・カウンセラーのみちよさんに会いました。

中学生の頃に読んだシャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」に感銘を受け、「人生で起きることにはすべてわけがあって、大切なのはそこからなにを学ぶかだ」と思ってずっと生きてきたので、今思えば意外なことでもないのですが、シャーリ・マクレーン以降は精神世界の本を読むこともほとんどなく、長い間スピリチュアルな世界とは接点がなかった当時のわたしにとって、それはひとつの冒険でした。

偶然みちよさんの本を読んだのがきっかけでブログの読者になり、「この人なら」と思って、ドキドキしながらセッションの申し込みをしました。そのときわたしは、自分の力ではどうにもできないことに悩んで、逃げ出したいような気持ちになっていました。誰かにその許可がもらえたらどんなに楽かと、どこかで思っていたように思います。

みちよさんは「逃げても、何度でも戻されるわよ」と、きっぱり仰いました。それは、わたしの本心が望んでいた言葉でした。本当は逃げたくないくせに、自分の中で折り合いがつかなくなっていたのです。

その日の夜にみちよさんが書かれた「タイミングとプロセス」という記事を、わたしは何度も何度も読みました。そこには、

今・ここ
にあるものを受け入れること。
今・ここ
にあるすべてをオッケーにすること。

と書かれています。望んでいない状況を、どうやって「オッケーにする」のか、見当もつきませんでした。「受け入れる」という言葉にも、それまで知っていた以上の意味がありました。わたしの「今、ここ」への取り組みは、この時に始まりました。

わたしが今思うのは、「今、ここに在るもの」は、すべて自分の責任において「在る」ということです。これは決して「全部自分のせいだ」と自分を責める意味ではなく、自分が責任を取れるということ。自由にできるということでもあります。

わたしたちはみんな、ひとりひとりが自分の世界の中心にいて、自分の世界で起きることの責任は、自分にある。だから、心のままに、自由にしていい。誰の責任でもない、自分の責任なのだから。

「今、ここに在るもの」は、気に入るものも気に入らないものも、愛すべきわたしの世界の一部。こう思うことが、今できる「すべてをオッケーにすること」かなぁ、と思っています。


はじめて「アウト・オン・ア・リム」を読んだ時、シャーリー・マクレーンが神秘的な体験をしながら本当の自分を見つけていく物語に、まるで冒険譚を読み進めるようにワクワクして夢中になりました。なぜ興味を持ったのかは覚えていませんが、どうしても読みたくて自分で買ったことはよく覚えています。